現代行き列車 未来停留所5
「誰か僕を拾ってくれませんか」
令和5年の下半期も既に折り返しに差し掛かったこの時分、空耳だとしても出来すぎている音声情報を受信した。
いつか先輩が言っていた“生きている中で絶対に言わない言葉″を思い出した。
なんでも先輩は「ざまあみろ」だそうだ。
言わない。
決して言わない。
何週、いや何年勝ち抜きだろうか。私の中でこれを上回る解には出くわしていない。
しかし、生きている中で絶対に聞くことがないであろう言葉であれば、本日解を見出した。
この世に生を受けて未だ5年程だろうか。その少年はコンクリートブロックにちょこんと座ってこちらを眺めていた。
私もこんな曇りなきまなこをしていた時があるのだろうか。
そんな思いに馳せるのも忘れるほどに、その視線は訴えかけてきた。
私は「いや嘘やろ」と思うのと同時に「いやお前人生何週目やねん」と耳を疑う言葉に対してツッコんでいた。
しかしこの歩を緩めては収録に間に合わない。
これまでの人生で培ってきた経験から導き出される最大限の人畜無害な微笑みを彼に返すのが、その瞬間では精一杯だった。
それでも繰り返しつぶやく言葉と追従する視線をかわし歩みを進めたところで、あることを思い出した。
お盆に帰省し、食卓でだらっとテレビを見ていた時に母親がふと「こないだ都会の人はほんまに冷たいんかって検証をやっとったわぁ。ほんでな、丸の内の真ん中でうずくまった女性にだーれも声かけへんのよ。みんな自分が大事、時間に追われて。そんなことあるかぁ」
と息巻いて、ウチらやったらありえへんとでも言いたげだった、アノ顔を。
この時「おう、大丈夫か」と彼と同じ目線にまで腰を下ろし声をかけてあげるのが正解だったのか。
そうなのだろう。
いつしか卑しい大人になってしまったものだ。
見かけだけの優しさではいけないね。
まあこれにはちゃんと着地点がありまして、私の行く先でおばあちゃんが彼の様子を眺めていて、たまらず彼の名前を何度も呼んでいた。
恐らく喧嘩でもして飛び出したのか。小さい反抗をしてみせたのだ。
些細な事であってくれと願うばかりだが。
仕事に出かける為自宅を出て、ものの数分で今後起こり得ないことに遭遇したある夏の日だった。
少年、元気でいろよ。
寛人