現代行き列車 未来停留所7
脳内なんて所詮中二で止まっているのだとすれば、良きに働かざること山の如し。
すなわち成長しましょう、ということなのだが。
舞台に出演して二回目のことだったか。
千穐楽の上演中、舞台袖で「あぁ、終わってほしくないなぁ。」とYouTubeで流れる広告よろしく右から左にスルーするほどありきたりな事を思っていた。
と同時に、
台詞の一つ一つが今この瞬間に消えていってしまう感覚がどうにも寂しさを感じていた。
もう戻ってこないんだと。
まあ要するに、舞台袖でクソほどイタい事に思いを巡らせていたのだ。
「追憶の隅」が閉幕した。
全細胞をむき出しにして挑んだ今作は、私の中できっかけを生むことになったのは言うまでもないのだが、久々にあのくそイタい感傷に浸るなんて思いもしなかった。
とはいえ、ありがたいことに「主役」であるという事実と、そのバイアスが乗っかった為に働いた作用であろうが(※脳内中二を忘れてはいけない)ただただ終わってほしくないな、とその時感じた。
それは物語や役、そしてアプローチしていく上で、また、初日からの板の上でそれらと溶け合うようなそんな感覚になったからだ。
叔母の言葉で心に残っているものがある。
「演劇は日常の延長だと思う。」
だからこそ自分自身と重ね合わせて共感し共鳴し、さもそこに居るかのように体感することができる。それはその瞬間にその場で体験する人生なのだろう。
もちろん客席で目撃している側もそうで、それが至福の時間なのだろう。
始めたての若かりし頃とはまた違った側面からのソレとなった今回は、”高二”まで成長したのかもしれない。
寛人