現代行き列車 未来停留所8
底知れぬ引力に引かれながら
いや、半ば彷徨うようにトウキョウの地を成人に満たない青い足で蹴っていく。
決して上を向いたりしない。
看板や案内表示を見たりしない。
さも以前からこの地のユーザーだったかのように振舞わなくてはいけないから。
トウキョウは冷たい街だから。
虚栄心という鎧を纏って東京に降り立った18の私は、新生活に心躍らせる若者とは程遠かった。
最寄駅近くのスーパーで買い物を済ませ、草花が芽吹く心地良い陽気を感じながらふと視線を向けると
ショルダーバッグを提げキャリーケースを引く若者と、隣に並びキョロキョロと見知らぬ景色を楽しむ妹と思しき少女
そして一歩後ろからは、二泊三日ほどの荷物を入れたボストンバッグと一枚の紙きれを持つ母親。
その光景を見た瞬間、心の奥がザワッとした。
ああ、そうか。
あの時の俺だ。
あの時の俺でしかなかった。
彼の出身は知る由もないが、自分が先頭に立ちトウキョウの地をリードする、という構図は世代を越えても「上京息子」には受け継がれているらしい。
「こっちだから」
と世間体を気にした口ぶりや態度は端から見ると、この地で生き抜こうと気を張ってるんだなと
どこか微笑ましくなった。
あの時もこんな風に見えていたのかな。
「写ルンです」で後ろ姿を撮った時、オカンはどんな顔をしていたんだろう。
少なくとも私の背中は大層不安に見えただろう。
東村山の賃貸アパートの玄関で、実家に帰る母親の不安そうな、しかし息子の未来を応援するような複雑な表情は脳裏に焼き付いている。
そんな郷愁に胸を締め付けられつつも、目の前を歩く身なりを清潔に整えイマドキの男子然としたその彼を追い越しながら
「大丈夫、そんなにがんばらんでええんやで」
と心の中で呟いた。
その後家族で何を食べたのかな。
「あの時の俺」がカウンターでオカンと横並びで食べた松屋のネギたま牛めしは、
虚栄心の隙間から漏れ出た不安の味しかしなかったんだけど。
寛人